倭国曳山行事 祭り文化研究会 |
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「 祭り文化研究会 新春座談会 」 | |||
新 春 座 談 会 2017 司会 今年の新春座談会を行いたいと存じます。皆様明けましてお目出とうございます。いつものように今年も各方面より5人の方々に参加を頂きました。宜しくお願い致します。今年のテーマですが、「祭り文化の基本と原点」という内容で何かお話しなり、ご意見がございましたらお願いを致します。 皆様おめでとう存じます。今年も宜しくお願い致します。 それは言えますネ。 型式論社会の「ウズ」の中にいて「何かへんだゾ!」と気が付き始めたと言う事でしょう。 時代に合わなくなった「三全総」の体質が表に出て来たのかもしれませんネ。日本人の本当の持つべきアイデンティティーを求め出したのかもしれませんネ。あと一歩の、文化そのものとしての民俗行事としての前進を望みたいですネ。 今年のテーマの「基本的原点」とは「非常に素朴な物事に目を向けて考える」と言う事です。日本の風習と祭りは非常に密接な関係に有ると言われています。 それは、自然に対する原始的なことも含まれています。それは現代の発展的開発文化と古代からの文化的な保護の二つの異なる文化がこの世の中に存在しているという事です。そのどちらも今の人類には必要な物事です。 そうですね、発展的な文化は次から次へと変化を求めて、動いていますが、その文化は、20年、30年をすぎますと消えてもさしつかえがない文化です。それにひきかえ祭礼の民俗文化は、古い事をいかに守って伝えて行くかという「マンネリズム」の中に有ります。祭りの本質的意味は変えてはいけないものです。 現行の自治組織ではなく「神社」と「氏子」組織が行おうという事です。自治会は祭りを行う組織ではありませんから。その目的と立場が違うと言う事です。 立場をわきまえると言う事ですネ。 神社の中では古代の昔からの事をず~っと行っている訳ですから。 今一番復活と言いますか、祭りに参加している人達に考えてもらいたい事は、経済的合理主義で消えて行った「シキタリ」や「儀式性」をもう一度復活してもらいたいと思いますネ。 曳山行事は神社の例大祭という儀式的行事の中に有る「祝賀式」という氏子が行うシキタリ的な行事ですからネ。 祭礼の間、ほとんどの人がその曳山を巡行している期間中、神社でどのような事が行われているのか「しらない」人がほとんどです。自分達が氏子で有るのにでス。 曳山をさわいで曳いて終わってしまうと言うくりかえしが現実です。 長い間、めんどうくさい事をはぶいて、合理的な人間社会の一方的な都合で行って来た事に「バチ」が当たって来たのかもしれませんネ。失った物は大きいと思いますヨ! 今、全国的に祭りの世界に研究会とかシンポジウムが盛んに行われていますが、この事自体、今、祭りの世界は非常に危機感が有るという事なのです。これさえも気が付かない…。 研究会やシンポジウムがその中で行われている事は、すでに問題点、つまり、重大な問題が起きていると言う事でネ。 そうです。すでにその答えはすでに出ていると思います。 それは何ですか? それは参加している人の「意識」であろうかと思います。 皆で力を合わせて神にふれると言うコンセプトを無視したかのようなイベント興行の見せ物性への移行になってしまっている事です。観光行政の取り組みの浅はかさが見られますね。 観光行政「不徳の致す所」でしょうか。 行政たるもの「政治」と「祭り」は民意で有る事を忘れてはこまると言う事です。政党政治文化の発展性の落とし穴とでも言いましょうかネ。 地域の「信仰」が「振興」に変わってしまったと思います。この二つの「シンコウ」の使い道をまちがえたのではないかと思います。「信仰」は「神事」です。 祭りは、仕事として行っている事はおかしいですネ。 最近ですが、若い世代の人が祭りの中に居て「何かヘンダナァ」とか、「何も知らないで祭りをやっていた!」というような事を一部の人が気が付きはじめたと言う話しを耳にするようになりました。そのような中で、ある長老の人が当会のホームページを見ると良いと助言をしたそうです。 その結果はどうだったのかなァ。 「自分達の祭りのナゾが解けた!」と言ってその地区にホームページの内容が伝わって広まりつつあるそうです。だが、頭のカタイ大人達がが多く、色々な問題をかかえているようです。若い人達がまよっているのに。 「大人ヨ!大志をいだけ!」 若い人達は今非常に不安な気持ちで生きているのではないかナ。本当の世の中の道筋がわらないからなのではないかとも思いますネ。真実がつかめない。 それには自分自身で勉強しないとだめですネ。まず目の前の事に気が付くと言う事です。 日本と言う国の原点に何があったのかという事でしょうネ。古代史や民俗学の世界になりますが。 古代史の研究をなさっておられるEさん、何かその辺のお話しがあればうかがいたいのですが。 そうですネ。天ノウズメに関する話題なのですが、先日、ユダヤ系文化の研究をされている方から電話がありまして、その研究会の方では今、日本ではやっている「ヨサコイ」踊りは、天ノウズメの踊りだと言う事が出て来たのだそうです。なんでも「ヨサコイ」の「ヨサ」とは夜を現わす語源で「ヨサリ」という意味も有るそうです。「ヨサリ」とは、夜の自然がうつりめぐることの意味もあります。昔は一日の始まりは夕方からだと言われていましたから。ですから「夜が来る」とか「夜が恋しい」という意味があるのではないか、又、イエスキリストが数日間洞窟の中に身を置いた時、彼を迎えたのが一人の女性であって、その女性はマクダラのマリアと呼ばれた当時の「娼婦」であったとされている話と、天ノ岩戸の前でミダラな舞をした天ノウズメの神話説は同じであるという事のようです。 この神話説の内容もある意味では神事の基本的原点という事になるでしょうネ。信じる人だけに見えて来る内容ですネ。 基本的原点の話しとして、今、日本の国内で非常に良い祭りはどこの祭りであろうか?という話になる事がしばしばございます。その時に評価をしてみますと、色々な点でダメだとか、良いとかが感覚的に出てまいります。 それはどのような評価でしょうか? 古代史とか民俗学が基本になった場合ですが。 それは非常におもしろいですネ。 たとえば、柳田國男氏の民俗学的な内容の要素が非常に高いのは越中富山の城端曳山祭です。祭りが行われている季節感は柳田民俗学の全てそのものの中で祭りが行われているという事で一番良い祭りかと思っています。又、愛知県三谷の祭りは折口信夫民俗学の全てが祭りの中に有ります。これもすごい中身のある祭りです。 三谷の祭りはたとえばどのような部分が折口信夫の民俗学的なのでしょうか? まず、「ヒゲコ」があって、「常世から来る海の彼方から来る物」を迎えに行く、それを送り返すという形態が見られる事です。地元の人達はその感念を持っておられないのが残念なのですが。そういった感念で見た場合、ものすごい意味を持った祭かと思います。 勉強していないと解からないだろうナァ。地元の方々は小社と大社の二社があって、その地形的「立地」条件からそうなっていると言っていましたけれど、それは人間が考え出した事ですから時代の中で色々と変化をして伝えられて来ているのかと思います。 三谷の山車はすごくバランスが良く私はスキですネ。いい山車でした。又、半田の亀崎の山車も海から来る神(常世)を迎え、送り出す形態で祭りを行っていると考えられます。 今は意識が変わっていると言われますが、良く奥深い目で見ると非常に内容の有る良い祭りが残っておりますネ。良いお話しをありがとうございました。最後に何かありますか。 原点と言えば昨年いよいよユネスコ世界遺産に国指定されている「山・鉾・屋台行事」が認定されました。 それはとても嬉しい事なのですが、ユネスコ世界遺産の登録の目的は観光ではありませんから。 観光的イベント思考などをやり出さなければ良いと思っているのですが。祭礼は見せ物ではないですから。行政がからんだらダメです。 この件で先日、若い人からTELが有りまして、「喜んで良いのか、どうしたら良いのか良く分らない」との話しが有りました。 それはどうした事なのでしょうか? それは三年前のユネスコ一括申請からその件に付いて祭りを行う一般人に対して何もその申請の内容的範囲に付いて説明や盛り上がり的なデモンストレーションがなかった為に、それに付いて何が何だかわからないと言う事が今、巷で起こっています。 一部の関係者だけで「バンザイ!」をしている所も有るようです。 京都さんのようにその「シンポジウム」を行うくらいの頭がないと次元の低い範囲で終わってしまいますネ。 私も同感ですネ。 もう少し民意がしっかりしないとダメです。自分達の祭礼なのですから。 ユネスコの件で、犬山市の曳山保存会の溝口さんや、石田先生と連係して取り組んで来た甲斐がありました。 この事は祭礼文化として「原点にもどる」と言う事にもなるかと思っています。 これから色々な話し合いが必要になってくると思いますが、今日はこの辺で希望を持って終わりたいと思います。本日は有りがとうございました。 |