倭国曳山行事
祭り文化研究会
「 祭り文化研究会 新春座談会 」

A氏 

明けましておめでとうございます。本日はお正月ですので、一杯やりながらの気楽な所でお話しを進めたいと存じます。
毎年尽きる事なく色々な話題と問題点が出てきていますが、その中で、今年の会のテーマである「心に持つべき祭」に付いて話して行きたいと思いますがいかがでしょうか?

B氏 

「心に持つべき祭」。これは非常に良いテーマですネ。
    奥が深い!

C氏 

今、日本の祭はイベント観光行事化に進みすぎた結果、本来の祭礼とは違う目的意識の中にあると思います。

B氏 

それは形式論だけが行われ、祭礼の目には見えない本質が分からなくなってしまっていると言えます。このままですと感覚的にイベントの中にある風物詩としての「サル回し」と同じような事になってしまうのでは。

D氏 

私はそこの所は祭礼を行う人、見る人それぞれの立場の感性の欠損感が生じているように思います。

A氏 

その欠損感の最大の原因は正しい事(情景)を伝えられなくなってしまった事にあるように思います。今、私達に伝えられている事は、都合の良い形式論からくる、ちぐはぐなパズルのような物であると考えます。それは祭礼のルールの本質を考えないといけないと思います。

C氏 

祭礼の本質とは関係のない立場の違う色々な人が出て来て、ゴチャゴチャ言い過ぎる事にもあるように見えます。たとえば、憲法20条③の違反まがいの講演会を行ってみたり、行政を抱き込んで良い顔したい人などと、それは色々です。

B氏 

まったく、はなはだしい売名行為もいい所だ!神社側に言わせれば、おそらく「私どもには一切関係のない事です」であろうし、神社祭祀としての祭礼の枠のはずが一切関係のない事として言われるとしたらこれは祭りと言うものをみんなで考えていかないでしょうネ。

A氏 

そのような中で昨年はひとつの光が祭礼の世の中に差し込みましたネ。京都の祇園祭における「後祭復活」でしたネ。

B氏 

「三全総」からの脱出とでも言いますか、あれは良かったです。ただそれが全国的に京都以外の場所へどのように理解されて伝わって行くのかという、又違った結果待ちの問題点もあります。

A氏 

たしかにそうですネ。それは言えるでしょう。

C氏 

この事こそ結果待ちの形式論にならないようにしていかないといけないと強く思いますネ!「バチが当たらないように」ネ(ハッハッハ。笑)

D氏 

最近、常々思うのですが、民俗学者の方の話しの内容があまりにも学者論しすぎていて現実的な「的」を得ていないように感じます。それは一般的ではなく古事記や日本書紀のようにチグハグでパズルのような論説感覚を多く感じます。

A氏 

民俗学者の方々に申したい事があります。それは、学者の方々が祭礼の論説の中で、「見物人」の事を「見る人」という言葉を使っていますが、それは性質的解釈が違うと私は思っています。本当は祭礼を「見守る人」というのが正しいと考えます。

B氏 

アッ!そうですネ。祭礼の本質は見せる為ではないのですから…。本来、見に来る人々は、皆さん、信仰心を持っているはずでしたから。又、自分の住む所へ帰ると日本人は皆、どこかの神社さんの「氏子」のはずですから。

D氏 

本来祭礼とはこのような世界であるのですからイベントではなく、まず、これが祭礼なのですから。チグハグなパズルに惑わされないように祭礼という物を良く理解していかないといけない。越中おわら風の盆(八尾町)にも見られる様に、自分達の祭(行事)が出来なくなっている。民俗行事を本当に守るのであれば、「観光」は切り捨てやむなしでしょう。もうその時期に来ていると思います。

A氏 

又、世界遺産登録になる事も「観光行事」の部分ではなくて、民俗行事という色合いの部分なのですからネ。それが最終的に観光にむすび付くだけの事なのですし、見に来る人も勝手に祭礼を見守らせて頂いているだけの事なのですから。

B氏 

見せる為の事はやらない事ですネ!それみんな意識の事なのですから。神さんにふれて、幸せを頂いて帰る…。これですね!これが「いい祭り見させてもろうて良かった!」という事ですかネ。

A氏 

ここで話しは変わりますが、先日11月に「日本の祭シンポジウム」なる話し合いのイベ     ントが、埼玉県秩父市でありましたが、これに付いては何か話しがありますか?

C氏 

このシンポジウムに関しては当会で映像収録のお手伝いが出来たという事でしょうか。又、シンポジウムの内容に付きましては会場に聴きに来られた方々がご判断される事ですから、とやかく私達が言う事ではないと思いますが。

D氏 

この事は、この様なシンポジウムの活動をされる事が大事であって、心に持つべき理解の問題かと思っています。

A氏 

本日のテーマの「心に持つべき祭」の答えが出たようですネ。

B氏 

お酒の味がひと味違ってきた感じがしますネ。

 (突然ドアが開いて弁天ならぬ女将が登場、特別参加。ここで会員もびっくりする女将の研究発表が飛び出す)

女将 

皆さん、お目出とう存じます。今年も宜しく。
ここで私の毎朝のウォーキングがてらの研究発表をいたします!川越の仙波地区仙波三丁目に「牛伴天」(弁財天)がありますが、今は天台宗の㐂多院さんの管理になっていますが、㐂多院さんから見て、東の方であるし牛万位でもない。
昔、牛が水を飲みに来た所かと思ったのですが、農家には馬も飼っていたはずだし。残った考え方として、この弁財天が牛の方位にあるとすれば、その先には「仙波長徳寺」。この寺は現在、天台宗ですが、古くは鎌倉時代には仙波の山車人形である仙波二郎、仙波氏の館であった所とされている所。長徳寺から見て牛方位に有る事から牛弁天とされたと考えられます。ですから、かなり古い水の神としての弁財天かと。

B氏 

これはすごい!まどわされたパズルの発見!

D氏 

これは方位学的な物の見方で、方位学は古くから我が国で文化の中で使われて来た学問です。中々おもしろいです。

C氏 

昔使われていたとすれば「古い物のなぞ」を「とく」その方法論的カギになるかもしれませんネ。

A氏 

新しい発見が出ました所で座談会を終わりたいと思いますが、今、外の川越の街は新年七福神めぐりの真最中です。神様方もおあとがよろしいようで。これにて本日はお開きに致します。

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