「 祭り文化研究会 緊急座談会 」

このたび、文化庁がユネスコ文化遺産に”山・鉾・屋台行事(曳山行事)”を提案すると発表され、当研究会もその意義を考えることになりました。4者の座談会としてまとめてあります。


A氏 

先日3月13日(木)NHK夜のニュースで「文化庁が2015年のユネスコ文化遺産登録に向け『山・鉾・屋台行事』を指定する為の準備に入った」と発表がありましたが、それについてご意見を伺いたいのですが。

B氏 

このニュースを聞いて先ず心に思った事は、当研究会の山田研究員がいつも民俗学的倫説で言っておられる「日本の祭礼文化は世界に発信してもおかしくない文化である」とのことを思い浮かべた次第です。

C氏 

そうですネ、日本の神道的な祭りの根底にある民俗学の意味も合わせて世界に発信できると良いですね。

A氏 

現在、日本の祭礼というものは、イベント化に走り、本当の祭りの目的というものが何であったのかという事が忘れさられ異次元感覚になろうとしている様に思われますが。

D氏 

そうですね。全てにおいて伝わってくるのは形式論的な内容だけですね。誠に残念な事ですが、一番大切な心に持つべきものがどこかへ追いやられておるように思いますが。

A氏 

そのとおりですネ。心に持つべき祭りへの精神面が伝わっていない様な気がします。

B氏 

たとえば、その精神面とはどの様なものなのでしょうか。

A氏 

伝わっていない精神面とは、全てにおいて伝わっていない所もあれば、まだ少しは神事性を持って辛うじてそれらしき意識で行っている所もみうけられます。曳山・神社や囃子とかシキタリなどの、これらの物事の目的は何の為にこの世の中に存在しているのか、ということです。

C氏 

という事はその存在の目的を明確にすれば祭りという物の目的意識は明確にでますネ。

A氏 

そのとおりです。ここで京都の祇園祭山鉾行事が2009年9月にいち早くユネスコ世界遺産登録になっています。その時のシンポジウムがございまして、その内容なのですが、京都市文化財研究委員の山路さんが「祭りとは観光ではなく、信仰心のある民俗行事であって、見る人達は個人的に見せてもらっているわけで」と述べています。また、「それをわきまえた地域の担い手達がしっかりやっていかないといけない。京都の祇園祭はそれを千年も続けて来たという事です。」とコメントされています。

D氏 

そうですね。祭りは民俗芸能行事性が非常に高いですからネ。その歴史は我が国の国家の成り立ちと言っても過言ではありませんからネ。

B氏 

今の話で祭礼の目的は「観光」ではないとの事ですが、又、単なる市民祭りでも無いという事になりますネ。

A氏 

そうです。祭りの主権(主権者)は神(神社)さんですから。

B氏 

今の時代、色々な経済面がからんでどうしても観光行政にたよらなければなりませんが、そもそも助成金という物は足りない所をおぎなう資金ですから、それは地域としての伝統行事をしっかりと行ってもらう為のものであって、それをしっかり行う事により、それが外面的最終的に観光行事へと結び付くだけの事なのかと思いますが。

A氏 

今の時代、見に来られる方々は昔ほど崇敬心や信仰心が無くなっているのでは…。それにくらべ、昔の人は見に来ても自分の地域に帰れば氏子ですから神に対する崇敬心は皆さんおありになられたと思います。

D氏 

そこで私が思い出すのは、昔の祭は神と共に「ニシメの祭り」という風情の素朴さがありました。そして、その祭りの中に大人達の正しい生活感の立ち上る規律の姿(意志・姿勢)と、子供達の笑顔がありました。それは一年で一度の「特別な楽しい日」であって、何か目に見えない晴ればれしい日であった様に思い出します。

A氏 

それこそが信仰心の中にあった祭りの風情ですネ。ですから祭りとは「地域の人々の拠り所」になっているわけで、それが協同体の本質であると思います。しかし今、一般的には違う解釈で、人々の行動的な部分の活動体をコミュニティーという言葉の感覚用語を学者と行政関係が連発していますが、協同体(コミュニティー)だけでは祭りは成立しないと思うのですが。

D氏 

つまり、心の拠り所の協同体には神さんがおって、一方の行動的協同体の中には神さんがおらんと言う事でしょう。後者には神さんの発動(神)が無い。この行動的協同体とは形式論だけが伝わって行くという意識の違いを生む盲点なのかもしれませんネ。

B氏 

明治、大正生まれの方々が以前、口を揃えて「昔の祭りの方が今よりも数段に良かった」と言っていたのを思い出しました。おそらくニシメの祭り、心の拠り所が祭りの中にあったからでしょう。そして地域には神を頂点とするおおらかな主権があって、地域の多少の問題はその自主精神でカバー出来ていたと思います。

A氏 

最近の事ですが、三重県桑名の国指定祭りで参加者達があまりにも神事の流れにそぐわない祭りになった為、神社側(宮司)が祭りを執り行わないボイコットをされたそうです。

B氏 

日本人にとっていかに歴史の中で行って来た「神社祭祀の祭り」が大切で意味的本質を持っているのか、考えるべきだと思いますネ。自然の営み全ての中に神がいるわけですから、祭りに関しては、「氏子」組織が強くあるべきかと…。

C氏 

一般的に知られていない事として、祭りを行う氏子の祭りは憲法20条で認められています。特に20条Bには「国及びその機関は教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」とあるから、氏子はガンガン宗教意識としての伝統行事を行って良いと思うのですが。

B氏 

金の出所がなぜ目的の違う観光課なのか。国指定文化財であれば、金の出所は文化財保護課の方が良いのではありませんか。

A氏 

私もそう思いますネ。行政は世界遺産登録ともなるとその伝統行事の本質を守るのか、壊すのか、立場を考えてもらいたいですよネ。

C氏 

そもそも主権者でもないわけですから、立場をわきまえる必要があったと思うのですが。以前、祭りの観光行事化への発端となった「祭りの振興」が昭和四十年代に行われて、祭りへの経済的財政が圧迫の一途を辿り始めてから祭りがおかしくなってきたのではありませんか。

A氏 

今話しに出た祭りの振興についても考える時期に来ていると思います。振興よりももっと大切なものが有るように思いますが。

C氏 

京都の有名な旧家の方が言っておられた事なのですが、「京都の伝統行事をやっておられる方々は信仰心から自分達の祭りを自分達でやっている。そもそもそれは、信仰心からくる罰が当るという観念からであって、祇園祭りなども千年あまり続いているという事は重荷だと思います。あんなごつい行事そのものが何億円かかっているのか、祭じゃない時にあれやれ言われても、誰もやりません」と言っていました。どこかの「まつり」みたいに別の会合イベントに合わせて別様で祭りを見せる事などしませんよ。

A氏 

伝統行事とかシキタリを守って行くことは偉大なマンネリズムが必要であると思いますし、不条理も受け付けていかないと、それもメチャクチャな不条理ですネ。

D氏 

それは決して理屈ではないですネ。伝統行事としての重荷ですネ。

B氏 

行政という所は市民権というものに対して立場が弱い所ですからあまりややこしいこと言わない方が良いし、問題にされると何かを変えなければならない事が起きる所ですから。

D氏 

要するに「黙ってお金を出す」。これはすごく重要な事です。以前、京都の祇園祭に行った時に八坂神社協賛会員の一人の方が言っておられましたが、「台所事情が厳しいので、お金がなければ始まらないから京都市の意見に従ってしまいます。しかし、資金が沢山かかってしまうので京都市からの助成が必要ですが、市の言う事を聞かざるをえないし、又、そこでいろいろな意見が出てくるわけです。行政も歴史的伝統行事とは何かという目的を勉強してほしいですね。

A氏 

罰が当らない為の陳腐・マンネリこそが京の文化と言えるでしょう。だから守ってこられていち早く世界遺産登録に指定されたと言っても良いですね。この無形世界遺産の中に有形も存在しているという事も理解すべきかと思います。

D氏 

ちょっと話しは祭りではないのですが、以前、俳優で映画監督の津川雅彦氏が京都新聞のコラムに「時代劇復興へ歴史教育を 行政は本当の文化残す努力を」と題してコメントを送っておられます。内容はたしか、以前、鴨川にフランスの橋を架けるという話しが持ち上がり、津川さんも反対運動をされたそうで、『行政はそんな事が文化だと思い、本当の文化を残す努力をしてこなかったのではないか。社寺と祇園、飲食店だけが頑張って来たのでは。日本の文化が一番残っている場所なのに、行政が後手にまわりすぎた』と述べています。私は観光客を呼ぶだけの行政まかせではなく、住民側の意識の中に、そうした文化や国を育てるのは誇りやプライドという正しいアイデンティーイズムが必要ではないかと思いますが。いよいよ祭礼教育が必要となったのかナァ〜とさえ思います。

C氏 

その事に関しては、祭りというものが昔ほど深い意味(ケ・ケガレ・ハレ)を持たなくなり、あまりにも日常的にあたりまえになりすぎ、その事に疑問や研究をしなくなったと感じます。以前読んだ本の一説に「目覚めよ、我が民族」という言葉がありましたが、それと同様で「目覚めよ心の我が民族」も必要なのかもしれません。

B氏 

大阪府の西成区玉出にある生根神社「だいがく祭」があります。その神社の宮司さんが「だいがく」の根底にあると言われている「鉾」についての歴史的、民族的な流れを氏子さん達に図型による説明やそれに関する唄を聞かせていたのをDVDで見ましたが、この様子はひとつの祭礼文化教育かと思いました。このDVD資料は京都の会員の方から送って頂いたものです。

A氏 

このへんで道筋の結論が出たように思います。これらの問題に付きましては全国各地の当会に登録頂いている会員の方々や祭り人、研究者などと横の連携(ネットワーク)を持って、後世に正しい「祭」と言うものの意味・真意を伝える為に残しておきたいと思います。そこで会員各位の熱意と協力をお願い致したい所です。たとえ、世界遺産にならなくとも、祭りの目的はそれではありませんから。また、世界から来る人達に対し、各地域がどのようにそれを受け入れて行くのかが大切な要因になってくると思いますが、遺産とは人類の財産ですから、次の世代の方々に世界遺産登録を目指すという重荷を考えて頂き、「目覚めよ心の我が民俗」に期待したい所です。

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